伊東 四朗 (いとう しろう、本名:伊藤 輝男、1937年6月15日 - )は、日本の俳優・タレント、テレビ番組の司会 司会者。(ただし、後述にもある通り本人は喜劇役者を自認している。)東京都出身、東京都立市ヶ谷商業高等学校卒。次男はタレントの伊東孝明(伊東貴明より改名)。
1958年、石井均一座に参加。同期には財津一郎らがいた。最初の芸名は、座長に「いとうにしよう」と言われたことから「伊東証(いとうしょう)」だったが、ポスターなどに名前が連なると、一文字の名前が先輩より目立ってしまっていけないということで、「伊東四朗」と改名した。石井一座は浅草の浅草松竹演芸場 松竹演芸場や新宿の新宿松竹文化演芸場を拠点に人気となる。新宿時代、一座の戸塚睦夫が元々軽演劇の仲間であった三波伸介と夜間キャバレーの営業に出ていたが、三波が大阪に行ってしまったために一座の伊東が三波の代役で営業に参加(この頃伊東は三波伸介という芸名を使うことがあった)。のちに三波が東京に戻ったため三人で営業用のトリオを結成。石井一座解散とともに正式にてんぷくトリオ(当初「ぐうたらトリオ」)を旗揚げした。軽演劇の流れを汲むコントで、舞台・テレビで徐々に人気となり、三波のギャグ「びっくりしたなぁ、もぅ」が大当たりして茶の間の人気お笑いグループとしての地位を確立した。
伊東四朗さんは今68歳なんだそうです。そう、もうそんなお歳なんですね。今日から『この人・再考』という書庫を作って ... (以下、敬称略) 伊東四朗のその風貌は非常に個性的である。 四角い顔。ぎょろりとした目。 ...
伊東四朗といえば「伊東家の食卓」を思い浮かべる人には、 「うん、そ~だよね~」と答えておく。 伊東四朗といえば「ザ・チャンス!」を連想する人とは、 お友達になれそう。ニン! 私ももう若くはないのだな。ニン! あ、「白子のり」もあったか。
... ということで、「伊東四朗&小松政夫」コンビの伝説となっている1995年公演「エニシング・ゴーズ」をTSUTAYAから借りてきました。「伊東四朗&小松政夫」というと、僕と同年代(40歳代)にとって、圧倒的な人気を誇るコメディアンです。 ...
作・三谷幸喜 主演・伊東四朗の脇を固めるのが、 三宅裕司、佐藤B作という鉄壁の布陣です。 チケット代は高かったのですが、 伊東四朗の主演舞台を本多劇場で見られるのなら、 と奮発しました(笑)。 「社長放浪記」ということで ...
3日前にテレビを見てたら 伊東四朗さんが自分で [早稲田の大学生協]で卒業まで働いたって言ってました。 卒業の時にそのまま生協に残るか役者になるか悩んで 役者の道を選んだそうです。 ...
昼間、休講が相次ぎましたので。 ちょっと放浪していましたところ、某駅の改札で…。 伊東四朗 氏に遭遇しました。 目が合い、何故か反射的に会釈をしてしまいました。 ニンッ! それは、ともかく。。。 再び、風邪がぁぁぁ~…(涙)。 ...
大晦日の深夜に広島で伊東四朗さんが出演していたドラマ(映画?)を見ました。その内容は、有り得はしない「地獄絵巻」のような内容で針地獄のシーンや女性が怪しく踊るシーンなどがあって伊東四朗さんはかなり大金持ちで....
ってたのが印象に残ってます。2.これも二十五年ぐらい前、たしか土曜の昼にやってたバラエティー番組で、伊東四朗が毎週、アントニオ猪木のテーマに乗って登場するシーン(そこでは「イノキ、ボンバイエ!」の部分が「シロウ、ガンバレ!....
変な話で申し訳ないのですが、思い出せる方ご協力お願いします☆ 以前、タレントの伊東 四朗さんが司会かなんかを進行していて、「ナウゲッタチャンス!」という掛け声を発してゲームを行うような番組があったことを皆様御覚えでしょうか?....
昔TBS系列で放送されていた、視聴者参加の値段当てゲーム番組『ザ・チャンス』で、カードを開く時には「ニンッ!」、CMに移る時には「Now Get a Chance!!」と言っていた司会者は誰でしょうか?....