コント55号(こんとごーごーごー)は、萩本欽一と坂上二郎のコントコンビ。浅井企画所属。正式な呼び方は表記の通りだが、一般には「コントごじゅうごごう」と呼ばれる。
1966年、営業先の熱海つるやホテルで「机」の一人コントを考案した萩本が、早速以前出演していた浅草松竹演芸場に売り込みをかけようと準備をしていたところ、たまたま浅草フランス座時代に幕間コントで競演した坂上から電話があり、この電話で坂上の助演が決定。10月松竹演芸場の前座として「机」を演じたところ、反応が今一つだったため、二日目に役を入れ替えたところ好評を博し、三日目には正式に香盤表に載る事となり、この時支配人から「コント55号」と名付けられた。
萩原欽一が「笑いの大御所」のように語られます。わたしゃ、萩原さんなんて、ぜんぜん面白くありません。コント55号では「坂上氏」があってこそ、あの笑いがあったのです。次郎氏の9割の面白さと1割の萩原氏です。....
DVDをリクエストされています。やすしきよし、コント55号あたりが見たいそうです。そこで近所のレンタル屋さんなどで探したのですが、これといって見つかりませんでした。amazonでも探したのですが、コント55号だけの総集編などはありましたが....
」が続いているとよく言われます。1980年代にも同様な「漫才ブーム」が起こりました。当時はドリフ、コント55号らが活躍していたと記憶しています。では、今起こっている「お笑いブーム」と当時の「漫才ブーム」....
と、最近テレビに出てくる漫才コンビの違い、なぜ面白い、笑えないのかも教えてください。参考までに私が面白いと思うコンビ(?)などを書いておきます。・コント55号・NHKで以前やっていた番組「サラリーマンNEO」・三谷幸喜....
... 今日は夕食を食べながらコント55号と前川清の旅行の番組を見ていました。 僕たちが子供のころずっと活躍してこられて、未だに元気でおられるというのは 嬉しいことです。 僕は欽ちゃんの人柄が好きなんですよね。 ...
『コント55号のなんでそうなるの?』 ~1973年放送スタート~ 番組は毎回コント55号の出身の地、浅草の松竹演芸場で公開収録されていた。 この番組の終了後から、欽ちゃんは独りで「欽ちゃんのドンとやってみよう!」「欽ちゃんのどこまでやるの!?」などで ...
昨夜のテレビ旅番組に欽ちゃんと二郎さんが出ていた。 二郎さんはゴルフの途中で脳梗塞を起し、一緒に回って いた医師の判断で最小のダメージで済んだ経験者だ。 かすかに残る障害も100%でないと自信のプライドと 他に迷惑をかけたくないという ...
『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』 ~1969年放映スタート~ 文字通り裏番組だったNHKの大河ドラマに対抗するために作られたバラエティ番組。 コント55号が仕切る野球拳のコーナーだけが、やけに印象に残ってるけど、この番組自体は ...
パチンコ「コント55号」を打ちました~。 欽ちゃん球団の発展とドル箱山積みの発展を願って打ったのですが、千円で17回しか廻らず ... ダメか「コント55号」と同じメーカーのデジパチ「じゃぶじゃぶビート」を打つ事にし ...